わが国初の産金
国史大系第2巻 続日本紀続日本紀(天平21年その2)続日本紀(天平21年その1)
涌谷町産金地(1;黄金山神社,2:天平ろまん館,鉱山印:大貫鉱山)
 古代日本では金は産出せず、中国や朝鮮からの輸入に頼っていました。既に古墳時代、韓国慶州古墳出土の金冠によく似た金冠が日本でも出土しています。半島との交流が活発だったのです。
 わが国で最初に産金が報じられたのは天平21年(749年)のことです。『続日本紀』に「天平二十一年二月丁巳陸奥國始貢黄金於是奉幣以告畿内七道諸社」とあります。時あたかも聖武天皇による東大寺大仏造営という巨大国家プロジェクトが進行中でしたから朗報でした。次のページには「陸奥國守從五位上百濟王敬福伊部内少田(小田の誤り?)郡仁黄金在奏氏獻此」とあります。小田郡は後に遠田郡となりましたので、現在の宮城県遠田郡涌谷町からの産金です。
 北上山地の地質を簡単にいうと、シルル紀~白亜紀までの中古生層に白亜紀花崗岩体が貫入しているのですが、近代に開発された金鉱山は、おそらくこの花崗岩に由来すると思われる熱水が中古生層中の貫入した含金鉱脈型金鉱床です。その点、この天平の産地は異質です。丘陵をなす新第三紀火砕岩中に胚胎した含金石英脈から浸食で洗い出されて麓の第四紀層砂岩礫岩中に入り込み、さらに河川の浸食に伴って川砂中に含まれたものです。付近にある大貫鉱山は昭和15~16年頃開発された鉱山ですが、間もなく閉山しました。

《トリビア》 金華山は金の島❓

金華山地質図扶桑學人(1889)
 昔から金華山にも金が出ると思われていたようで、実際に黄金山神社も祀られています。日露戦争の時、日本には金の島があると宣伝して、外債募集にあたったとのまことしやかな話があったとかなかったとか。もちろん、明治の頃から金華山は全島ほとんど花崗岩からなることは知られていました。花崗岩は主として石英・長石・黒雲母からなります。この黒雲母biotiteが変質すると金雲母phlogopiteになりなす。金色に輝き一見金箔のように見えます。温泉の浴槽にこの金雲母を入れ、黄金風呂と称しているところは現在でもあります。

§ 参考文献

§ 参考サイト